こんにちは、カウンセラーのEmiです。
自律神経も乱れがちなこの4月、ふと友人Hのカラスを思い出したら、とても愛おしい気持ちになりました。
先日、友人Hのお家にお邪魔したのですが、部屋の壁を白色に塗り替えたばかりとのことで、以前よりも部屋が明るくなり、オシャレな空間に仕上がっていました。
団地で育った私としては、新築のおしゃんてぃ〜な部屋みたいなのに憧れがあるのですが、友人は古民家風の家が好みのようで、少しずつ憧れのお部屋づくりをしている様子でした。
帰り際に、ふと天井を見上げると、カラスみたいな黒い鳥たちがうごめくモービルが天井からぶら下がってるのが目に止まりました。
それに気づいた友人が「あのモービルあった方がいいですよね!?」と意気揚々と私に問いかけてきます。
友人の気持ちを汲むのであれば「そうだね」と答えるのが正解だったのかもしれませんが、私だったらぶら下げないなと思い「あれが無い方が洗練された部屋になるかもね」と答えたのです。
すると友人が
そんなに洗練させたくは無いので
ぶら下げといて正解でした!
と言ったんですね。
それを聞いて、笑ってしまったのですが、それと同時に驚きもしまして。
世の中はカッコよくて、洗練されていて、お洒落な、まさにインスタグラムみたいな世界でいかに「映えるか」を競い合う中、彼女は全然そこを目指してなかったんですね。
「あんまり洗練され過ぎると落ち着かないんで」という彼女の言葉に妙に納得したと同時に、安堵感や安らぎを感じました。
いつも飾らない友人H(飾ろうとしても、飾れていない)の存在は、映えやカッコよさを求めて背伸びして生きようとしていた私に、何か大切なものを思い出させてくれたように感じます。
ちなみに、その友人は以前、映え集団はびこるインスタグラムに、失敗した餃子の写真を投稿し、餃子バラバラ殺人事件なんて言われていたっけな。
そのことを思い出した時、ロバート秋山の「実家の壁に住む専門のそばかすの少女」じゃないけど、お湯が沸いたらピーって鳴る錆びついたヤカンとか、実家のテーブルの四隅に鎮座する、色褪せたクレヨンしんちゃんとか、そんなダサい生活を初めて「愛おしい」と感じたのでした。

お洒落なケトルよりピーってなるヤカンを使いがち。実家の台所の油汚れに哀愁を感じる。

年季の入ったテーブルと甥っ子が貼ったクレヨンしんちゃん。
天井からぶら下がったカラスを思い出すたび、インスタグラムみたいな家に行った時には感じたことのない、ほっこり感やポカポカ感を感じます。
温かさや安らぎは「理想の形」の中ではなく、ダサさの中にこそあるのかもしれません。
おわり☺️
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